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diamond bullet

ど新規NEWSファンがいたづらに書き連ねるブログ

11月は気が重い

ジャニーズ関係無い話。暗いです。

 

 

 

 

 

 11月は気が重い。自分の誕生日の前に、父の命日がある。

私の誕生日は11月の終わりごろなので、子供のころから誕生日プレゼントの包装がクリスマス仕様なのは慣れっこだし、最近ではハロウィンの翌日からクリスマスの飾り付けをしているお店も多くて、11月はどこへいったの?って思うこともある。

11月が行方不明なら、このまま眠り込んでやり過ごしてしまいたい。

 

その日が近づくにつれ涙がちになる母をなだめているうちに、私の11月は過ぎてゆく。近くに住んでいるのに日頃はほとんど顔を出さない兄夫婦も、祥月命日のその日は仏壇に手を合わせにやってくる。そして、その2日後には私の誕生日のお祝いだといってお菓子を持って来てくれる。普段は月に一度も来ないのに。

もういっそ、祝わなくていいよ。

昨日まで泣いていたのに、誕生日の朝がきた途端に急に明るい顔を作る母がつらい。

身内にとって私の誕生日はもう、父が死んだ時と切り離すことができなくなってしまったから。30歳近くなってからは「もう祝うような年齢じゃないよ」と口では言いながら、けれどやっぱり「おめでとう」と言われるのはうれしかった。でも。父が亡くなって以来、私の誕生日は父の死の記憶と一続きになってしまったから。もう、祝わなくていいよ。

 

父は病気を患っていたけれど、そんなに急に亡くなるなんて、誰一人思っていなかった。おそらく父自身もそうだったのだろうと思う。

遺影に使った写真は友人たちと旅行に行ったときのもので上機嫌の笑顔だ。こんなに笑っている写真を遺影にしていいものかと少しためらったくらい。いい顔なのは当然だ。その写真、父は酔っぱらって上機嫌でいるのだから。葬儀社の方が気を遣ってずいぶん色を調整してくれたけれど、写真の父の顔はうっすらと赤い。弔問に来てくださった方はみな「いい写真だね」と言ってくださったけれど、私はその写真を見るたびに今も「ばかやろう」とつぶやいてしまう。父はなにもかも置き去りで逝ってしまった。

その年は、葬儀とそれに続く雑事のうちに年末となり年が明けた。新年を迎えた気がしなかったからだろう。そこから数年間、私は「今が西暦何年で平成何年なのか」がわからなくなった。

父が亡くなった時、私はそのことについて考えるのを後回しにした。3年後か5年後か、いつかきっと何かを思うときがくるだろうけれど、今は考えない、未来の自分に任せる、そう思うことにした。

考えることから逃げたのかもしれない。母と二人きりになってしまった家の中で、母が泣いて、私まで泣いていたら暮らしていけないと思った。

あれから何年経ったのか、数えられなくて位牌を見て、4年経ったのだと認識する。今年がどうやら、あの時の自分に任された「いつか」らしい。「何年か」経ったけれど、気持ちはどうなるものでもなかった。

「もうすぐ誕生日だな。今年は何か買ってやろう」私が社会人になってから、父がそんなことを言うのは珍しかったのに。父は、約束を果たさずに逝ってしまった。

 

そろそろ紅葉の季節だ。京都で暮らした学生時代、季節になるといつも「○○神社の桜は咲いたか」「××寺の紅葉はそろそろか」と酔った父から電話がかかってきていた。父の好きだった街に私も住んだことが、唯一の親孝行になってしまった。花が咲いても月が出てもとにかく飲みたい人だったから、きっと今年もどこかで、気に入りの寺の紅葉を眺めてカップ酒を空けているのだろう。

 

就職したら料亭でご馳走する約束だった。就職が決まらなくて地元に戻ってきて派遣になって。もう少し待ってねと期限を延ばしてもらっていた。あれから何年も経って、私は正社員になって。今なら少しがんばればご馳走だってできるのに。父はいない。お父さん、ごめん、私も約束果たせなかった。

 父について語る言葉は、すべて過去形になってしまった。

 

ラクになんてならないんだろう。時間だけが過ぎていくんだろう、きっと。

母の片付けられない父の荷物は、最後に私が処分するのだ。そう思っている。

 

 

どうしても取り留めのない文章になってしまって、まとまりがつかないからここまでにしよう。

 

 

ここまで、もし読んでくださった方がいらっしゃいましたらありがとうございます。

次回は明るい話を書こうと思います。